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臨床検査と心理学とバイクとクルマのブログです

忘れてはならないライダー① 片山敬済

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片山 敬済

(以下、Wikipediaより)

(かたやま たかずみ、1951年4月16日 - )、兵庫県生まれ。

1977年に日本出身者として初めてのロードレース世界選手権(WGP)チャンピオン獲得。WGP参戦当時の愛称は「プリンス」。または名前から「zooming cuts(ズーミングカッツ)」。在日韓国人(本名 方敬済)。

 

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日本でバイクブームが始まるちょっと前に、

既に世界で活躍していたライダーです。

今で言うとかなり凄い成績を挙げていたにもかかわらず、ニュースにもならず一部のバイク雑誌に取り上げられるのみでした。

( ̄▽ ̄)

ただ、

WGPで年間チャンピオンを取った日本人(国籍は韓国らしいですが、、。)は

この人が最初です。

 

1974年、片山は契約していたヤマハから強引に許可を得てWGPに参戦した。これに対してヤマハは全面的な支援はせず、

TZ250を貸与するのみで、メカニックもおらず、片山自身がマシンの整備・チューニングを行った。

 

(´⊙ω⊙`)

 

初めてのヨーロッパを一人で転戦するのは大変だったが、ヨーロッパのヤマハ現地法人であるヤマハNVの契約ライダーのケント・アンダーソン(125ccクラス世界チャンピオン)が面倒見の良い人だったので、片山は彼の助けを借りてヨーロッパを転戦した。片山はWGP第6戦のダッチTT(オランダGP)から250ccクラスで参戦。予選で3位になり、決勝レースでも3位を走っていたのだが、リアブレーキのトルクロッドが折れるというトラブルに見舞われてリタイアとなる。参戦開始から3レース目の

第8戦スウェーデンGP(アンダーストープ)で早くも独走で

GP初優勝を飾る。

 

(*゚▽゚*)

 

スペインGPでは不運に見舞われた。トップで走り、このまま行けばランキング2位は確実と思われた状況だったのだが、ブラインドコーナーの立ち上がり地点で、クラッシュしたマシンの消火活動のためにコースを横切っていた消防士と片山が激突してしまったのだ。片山は転倒し、そのままリタイア。消防士は即死という不幸な結果となった。

この年はシーズン後半の6戦しか出場しなかったにもかかわらず、

ランキング4位を獲得。決勝レースの半分以上は、いったんはトップを走るという活躍を見せた。また、当時、片山はトレードマークとして、テントウムシのイラストをリアカウルに描いてレースに出場していた。

 

まあ、

時代背景がどうか?とは思いますが、

プライベーターでメカニックもサポートもなしで、優勝し、年間ランキングも4位に入るなんて、

今じゃ絶対無理です。

( ̄◇ ̄;)

 

1979年はホンダのWGP復活と同時に同チームに移籍。 ホンダと契約した理由を片山は次のように語っている。「ひと言でいえば、

ホンダが好きだからです」。

この時ホンダが用意した、革新的な楕円ピストン(1気筒あたり8バルブ2プラグ)を採用した新開発

4ストロークV型4気筒マシーン

NR500は、思うように開発が進まず成績も低迷する。

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1979年シーズンは、イギリスGP(シルバーストン)とフランスGP(ル・マン)のみ参戦するが、2レースともリタイアとなる。

1980年は途中から参戦し、スズキの市販ロードレーサースズキRGB500でもレースに出場し、ミザノ(イタリアGP)とハラマ(スペインGP)、ポールリ・カール(フランスGP)でポイントを獲得した。

1981年は片山はレースをしていく上でもっとも苦労したシーズンであったが、NR500は片山にとって夢のあるバイクでもあった。

しかし、片山は、NR500ではポイントを獲得することができなかった。NR500の3年間は、グランプリ・ライダーとして一番良い時期を無駄にし、もしRG500に乗っていたらチャンピオンになれたかもしれない、と言われていたし、片山はホンダのテストライダーに成り下がってしまった、と言う人さえいた。

片山自身もNR500から10年を経て次のように語っている。

 

「今では時効かな…」

「あの3年間、レーサーとして棒にふったな…」

(片山敬済)

 

この後、

やっとHONDAが

2ストローク3気筒のNS500

を投入します。

このマシンで最も活躍したのが、

あの「 ファースト・フレディ 」

フレディ・スペンサーです。

もし、

あと3年早く投入されて、

片山敬済が乗っていたら

きっと年間チャンピオンだったろうと

誰もが言ってました。

本人もNS500を手に入れますが、

一番ノリニノッテタ時期とは違い、

ケニー・ロバーツやフレディ・スペンサーにはついていけなかったらしいです。

それでも、

エディ・ローソンやランディ・マモラ

といった名だたるライダーが一目を置くライダーだったことは間違いないでしょう。

 

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HONDA NR

 

市販されたバイクです。

当時最高額の520万!?

NR500のノウハウが注ぎ込まれいます。

楕円ピストン、8バルブ、4気筒、カーボンフルカウル!?

高いはずだ、、。

 

実は以前、HONDAのフェアにあって

ホントは触ったらいけなかったらしいんですけど、

触るどころか跨っちゃいました!

ポジションはそんなにレーサー的ではなく、

普通にツーリング出来そうな印象でした。

もう少し安かったら欲しいなー。

 

ただ、

HONDAの人から跨ってるところを見られて、「 触れないでください 」

の立て札指差して、

かなり呆れた顔されましたが、、、。

 

(-_-;)

 

 

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