SP忠男
バイク乗っているひとなら
ほとんど知らないひとは
いないんじゃないかと思うのが、
このマーク。
目玉がかわいいマークです。
レーサーでこのマークを
ヘルメットに付けて走っている人
多いですよね?
みなさんココのチームで育てて貰った方々だそうです。
オーナーの人間性でしょうか。
みんなから慕われているようですね。
(^◇^)
鈴木忠男さん。
って書くとなんか勘違いされそうですが、
ご健在です!
(*゚▽゚*)
1945年 誕生
2月19日、東京にて6人兄弟の末っ子として生まれる。
1953年 8歳
兄の乗っていたトーハツの80ccバイクに乗せてもらい、早くもモータースポーツに目覚める。
1960年 15歳
初めてモトクロスレースに参戦。
マシンは山口のオートペットでタイヤもノーマル。
並み居るワークスライダーにかなうはずもなく、結果は見事予選落ち。
1963年 18歳
トーハツから「TR250」という工場レーサーに乗せてくれるという話が入り、チームを移籍。
1965年 20歳
ヤマハワークスライダーとしてYDSベースのモトクロッサーで各地のレースに参戦。
葉山のレースでは90cc・125cc・250cc・オープンクラスと、なんと4クラス制覇を成し遂げ、一躍脚光を浴びる。
1969年 24歳
DT-1ベースのマシンで参戦。それまではメーカーの都合で欠場するレースも多かったが、この年初めて全戦に出場し持 てる力の全てを注ぎ込んだ。
そして見事、全日本モトクロス選手権シリーズ250クラス年間チャンピオンに輝く。(125クラスでもランキング2位) さらに、日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)最優秀選手にも選ばれる。
そしてさらに、現夫人・寿美子さんと結婚。
人生至福の時の様に思えるが、実際はそれほど華やかではなかったらしい。
レーサーだけではなく、家の仕事との二足の草鞋状態。仕事が終わると夜行でヤマハへ行き、レースが終わると帰って仕事を していたという。「そうじゃないと、レースをやらせてくれなかった。」
1974年 29歳
ヤマハ契約ライダーとして、中南米を中心とした海外でのマシンテストやレースが多くなる。
だが、なんとこの頃まで、レースと家の仕事との二足の草鞋を続けていた。
1976年 31歳
モトクロスレースでの活躍やマシン開発で蓄積してきた経験とノウハウをもとにして、愛妻とスタッフの3人で「スペシャ ルパーツ忠男」を開店。
開店を期に、67年頃から
目立つようにと自ら書き込んでいた、忠さんのトレードマークの
目玉のイラストを、GKデザイン のデザイナーにフィニッシュしてもらい、この時から店のトレードマークにした。
今では、「SP忠男」=「目玉のマーク」と、誰もがイメージする様になったが、目玉マークと忠さんとのつきあいは、開店 よりずっと古く、まさに忠さんそのものを意味するものだったのだ。
1977年 32歳
有限会社スペシャルパーツ忠男設立!当時流行のモンキーやミニトレ用のパーツ販売を開始。
スペシャルパーツの名の通り、パーツ販売がメインとなるにつれ、業績もどんどん上がっていく。
ところで、マフラーに最初にブランド名を付けたのは何を隠そう我らが忠さん。「SP忠男」のマフラーを装着したマシンで の走りのフィーリングを、ライダーに、よりダイレクトにイメージしてもらう為だ。
1978年 33歳
SP忠男レーシングチームを設立。
千葉にレーシングサービスの拠点を構え、ロードレースへのエントリーを開始。多くのライダーを輩出している。
1979年 34歳
業績の伸びとともに、より多くのライダーが集う上野に「SP忠男」上野店をオープン。 だがオープン時、忠さんは「キリマジャロをバイクで登る!」という雑誌の企画で、風間氏・賀曽利氏・カメラマンと共にバ イクでの登頂にチャレンジ中。なんとアフリカにいたのだ「SP忠男」の事務系の事柄は、ほとんど賢妻「寿美子夫人」にま かせていたという。こんなワイルドなチャレンジが出来るのも、内助の功のなせる技というわけだ。
忠さんより ~
「時期が遅れて、キリマンジャロは既に雨季に入って路面はすべりマシンに乗って登るなんて生易しいもんじゃなかった。殆 どが押し上げる状態。最初は軽い気持ちで水やガスを持っているポータ達を先に行かせてしまったが、おかげで飲まず食わず で8時間、ひたすらマシンを押しげた。キリマンジャロは国立公園、バイクを入れる事さえ出来ない所を内緒で入山。夜の キャンプで自動小銃を持った人達に山狩りされ、我々は見つからない様に隠れていた。もし見つかって殺されても、登っては いけない所を登っているのだからしょうがなかったかも・・・・!?今考えると恐ろしいことだ。でも、山の上から見た景色 は、生涯忘れられない素晴らしいものだった・・・。」
1980年 35歳
「SP忠男」横浜店オープン。より本格的にロードレースに参戦し、現在までに世界でも注目を浴びるトップエントラント として、数々の優秀なライダーを輩出している。
ミレニアムを迎えた「スペシャルパーツ忠男」は、現在羽田本店、上野店、横浜店、千葉店の、計4店舗で稼働中。マフラー をメインにオリジナルラインナップを充実させている。
忠さん曰く、「ウチはマフラー屋。マフラーには自信がある」とのこと。4ブランド・200種のマフラーと暖かいスタッフ が、日々、ライダー達を迎えている。
この形、
ただものじゃない感が凄い!
SP忠男の出身ライダー
それぞれの最高戦績をあげてます。
中須賀克行さん
YAMAHA FACTORY RACING TEAM
2015年〜2018年
鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝
中野真矢さん
2000年 ロードレース世界選手権GP250ランキング2位(5勝/チェスターフィールド・ヤマハ・テック3 / YZR250)
2008年 ロードレース世界選手権MotoGPランキング9位 (サンカルロ・ホンダ・グレシーニ / RC212V)
名越哲平さん
2019年、MuSASHi RT HARC-PRO.
J-GP2年間チャンピオン獲得!
小山知良さん
ロードレース世界選手権
2007年125ccレッドブル・KTM 総合3位
みんな
目玉描いてます。
凄い!?
(^◇^)