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冷たい人たち=傍観者効果

 

「 傍観者効果 」

 

と言うのを聞いたことがありますか?

 

緊急事態の場に

居合わせているはずの人の

数が多いほど援助行動が抑制される。

 

以下、その研究ときっかけとなった事件です。

 

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( 写真は本文と関係ありません )

 

『冷淡な傍観者:思いやりの社会心理学』

 

(原題"The Unresponsive Bystander. Why Doesn't He Help ?”)を執筆したビブ・ラタネ(Bibb Latané) とジョン・ダーリー(John Darley)は1960年代半ばにニューヨークの大学に勤めていた。

 

同じ頃,ニューヨークでキティ ·ジェノヴィーズという28歳の女性が殺害される事件が起こる。

 

ラタネとダーリーの研究のきっかけとなった代表的な事件である。

キテイ ·ジェノヴィーズ事件が起こったのは1964年3月の午前3時20分頃であり、

仕事を終えて帰宅途中にあったキティは、

車を駐車場に止め、

自分のアパートに向かおうとしていた。

 

そこに加害者の男性が現れ,大通りまで出たキティに飛びかかり、

 

ナイフで背中を刺した。

 

彼女は大きな叫び声をあげて助けを呼び、

それに気づいた付近の住人たちの中には

部屋に明かりをつける者、

窓から通りの様子をうかがう者、

「その女性を放せ」と叫ぶ者もいた。

 

男はいったんキティから離れるものの、

キティを助けに通りまで出て来る人がいないことを確認すると、

アパートの建物内にある階段によろめきながらたどりついたキティに追いつき、

 

再度彼女を刺して殺害した。

 

キティが最初に助けを求めてから死に至るまでには20分ほどの時間あり、

誰かが1人でもすばやく駆けつけていればキティの死を防ぐことができた可能性がある。

 

この事件の直後には,事件を目撃した者が38人いたと報道され、そのうちの誰1人としてキティを助けなかったことが、

社会に大きな反響をもたらした

(目撃者の数は実際には少なく、

危険を伴う緊急事態だと認識できた者はさらに少なかったとされる: Manning, Levine, &Collins,2007)。

 

事件に気づいた人々がキテイを助けに来なかった理由として当時あがった解釈の1つは、

都会人の冷淡さや臆病さであり,

事件に巻き込まれるのを恐れた都会の人々がキテイを見殺しにしたというものである。

 

他の解釈としては、

現代社会に生きる人たちの人間性を問うものがあり、

彼らには思いやりや道徳心が欠如しているという主張がなされることもあった。

 

ラタネとダーリーはこれらの解釈を否定し,

 

そのような解釈は、

都会人や現代社会といった一部の特徴に短絡的に注目しているだけであり、

緊急事態が発生しているその状況で何が起こっていたかを詳細に分析していないと批判した。

 

ラタネとダーリーは、1960年代後半から実験や調査を繰り返すことで

緊急事態が起こる状況を詳しく分析し、

 

多数の人がいても援助がなされない

 

理由を明らかにしていった。

彼らが行った研究は社会心理学においては古典とされるが、

そのインパクトはいまなお衰えず、

社会心理学の授業で援助行動が取り上げられる際には必ずといってよいほど登場し、

状況の力を重視する社会心理学という研究分野に学生が惹きつけられるきっかけにもなっている。

 

 

ラタネとダーリーは傍観者効果が生じる主な理由は、

 

責任の分散

(diffusion of responsibility)と

集合的無知

(もしくは多元的無知: pluralistic ignorance)

にあると考えた

(eg, Darley & Latané, 1968 ; Latané & Darley, 1968, 1970)

 

◉ 責任の分散

は司じ状況に居合わせる人が複数いることで、あるいは複数いると思い込んでいることで、

自分だけでなく他の人も同様に責任があると感じ、

一個人として責任を感じる程度が低くなることである。

 

緊急事態に居合わせたのが自分1人であれば、

行動を起こせるのも自分だけであり、

自分こそが行動を起こすべきだという決断が下されやすい。

 

しかし、自分の他にも人がいれば、

その場にいる全員で責任を共有しそのうちの誰かが行動すべきだと考えることで、

個々人が行動を起こす可能性が低減してしまうのである。

さらに,すでに行動を起こした人がいるはずだ、

自分よりも援助に適した人がいるはずだなどと思い込むことで、

自ら行動を起こさない理由を得ることもできる。

 

◉ 集合的無知

とは、集団のほとんどのメンバーが実際には同じ考えを持っているにもかかわらず、

集団のメンバーそれぞれは自分の考えが他の多くの人たちとは異なっていると思い込んでいる状況のことである

(Katz & Allport, 1931:『冷淡な傍観者』の中では「衆愚」と翻訳されている)。

緊急事態かもしれないと自分で気づいても、

他の人が動かないところを観察し、

彼らが緊急事態だと思っていないようだから深刻な事態ではないはずだと思いこみ、

行動を起こす可能性が低くなるのである。

しかし、

他の人も実は自分と同じように考えて不介入を選択しており、

結局は誰も行動を起こさないという状態が生まれる。

この集合的無知が生じるには、

緊急事態での他者の反応を傍観者が把握できる環境が必要である。

 

(「 社会心理学 」森 津太子 著 参照 )

 

 

自分が、

心理学を学ぶ上で

もっとも記憶に残った課題でした。

 

人は冷たいとか、

臆病とか言うよりも、

人ってその状況で、

いろいろな判断をしており、

ある意味

「 自分勝手な判断 」

かもしれませんが、

それは一個人の判断ではなく、

集団の結果として

そうなったと考えるのが妥当だと思います。

 

人って

怖いと思うし、

残念な生き物だとも

思います。

 

 

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