思春期を過ぎたころ、
人は誰しも、
「 自分 」あるいは
「 私 」とは
何者なのか?
と考えることがあります。
父親がいる。
母親がいる。
兄がいる。
姉がいる。
妹がいる。
弟がいる。
おばあちゃんがいる。
おじいちゃんがいる。
おじさんがいる。
おばさんがいる。
友達がいる。
「 未来のミライ 」
を見たことありますか?
その中で、
異世界の管理人に
あなたは何者なのかを
問われ、
そうしないと元の世界に戻れないという
場面があります。
「 くんちゃんはミライちゃんのお兄ちゃん!」
すべての答えがここにあります。
以下、Wikipediaより
◉ 未来のミライ
出産のため、暫く入院していたおかあさんが帰ってきた。
主人公のくんちゃんは始めて見る妹に興味を示し、おかあさんに「仲良くしてね」「守ってあげてね」と言われ、約束する。しかし、おとうさんとおかあさんは「未来」と名付けられた赤ちゃんの育児に追われるため、どうしてもくんちゃんのことを後回しにしてしまいがち。
そんな日々が続いたことで、未来に嫉妬感を覚えたくんちゃんは、動物の形をしたクッキーを未来ちゃんの顔に並べたり、ほっぺたを引っ張ったり、指で鼻を押したりと未来の顔で遊び、おかあさんから怒られる。その腹いせにオモチャの新幹線で未来の頭を敲くなどして余計に怒られる。
疎外感を感じ、家に自分の居場所が無いように感じたくんちゃんは、庭に逃げる。
すると、一人の男がくんちゃんに話しかけてきた。
あなたは自分が
「 誰と誰の子だ 」ということを
わかりますか?
現在はDNA鑑定で
ある程度は実証できるかも知れません。
でも、
ソコまでしますか?
自分は何者なのか?
それは自分だけでは推し量ることができないのです。
◉ ソポクレスの「オイディプス王」の悲劇
エディプスコンプレックスは、
ソポクレスの「オイディプス王」の悲劇にもとづく概念である。
(あらすじ)
テーバイ王のライオスとその妃イオカステは,「おまえたちの子どもは父親を殺し母親を妻とするだろう」という神託を受ける。
そこで二人は,生まれた赤ん坊の足をピンで刺し貫き、山奥に棄てきる。
この赤ん坊は、子どもに恵まれなかったコリント王夫妻に引き取られ、オイディプスと名付けられ大切に育てられる
(オイディプスとは腫れた足という意味である)。
オイディプスはやがて長じて人望を集めるが、それを嫉妬した者が、オイディプスはコリント王夫妻の本当の子ではないと告げる。
その真偽を確かめるべく、オイディプスがデルフォイの神に問うて受けた神託は、「 おまえは,自分の父親を殺し母親を妻とするだろう」というものであった。
オイディプスは,決してそんなことはしまいと、コリント王夫妻のもとから去って旅に出る。
旅の途中、道を譲る譲らないで喧嘩となり図らずも殺してしまった相手は、実の父親のテーバイ王ライオスであった。
オイディプスは、それを知らぬまま旅を続ける。
途中、怪物スフィンクスが投げかける謎を解
いて退治し人々を救い、不在になったテーバイの王として迎えられ,、実の母イオカステと,それとは知らず結ばれてしまう。
しかし, テーバイには災厄が絶えなくなり、それはテーバイ王殺害の穏れが破われていないからだという神託を受ける。
テーバイ王殺害の真犯人を捜す中で、 イオカステは事の真実を悟り自殺する。
オイディプスも真実に気づき、自分で自分の目を潰し盲目となって再び旅に出るのである。
自分が本当は何者であるかという事実を知らないオイディプスは、運命に逆らおうとするたびに、運命に引き寄せられていく。
オイディプスは,その知恵でもって、混沌の象徴としてのスフィンクスを退けた。
スフィンクスが人々に出していた謎とは、
「 朝は四ツ足、昼は二本足、夜は三本足の生き物とは何か」
という問いである。
これは人間のライフサイクルを示すものであるといえよう。
この問いに見事に答えたオイディプスは、「人間とは何か」について、確かな答えと見識を持っていたといえよう。
しかしながら, 「自分とは何者か」ということについては、知ることも語ることもできなかった。この物語が示すのは「自分とは何者か」を知ることができない人間の悲劇である。
「わたし」が何者であるかは、知恵や理性によっては知ることができないのである。
「わたし」の成り立ちは、本質的に隠蔽されてしまっている。私たちが、「わたし」が成立する3歳以前に関しては、思い出したり語ったりすることができないように。
エディプスコンプレックスとは、私たちが到達できない「わたし」の成り立ちの秘密を、私の内にひとつの複合体(コンプレックス)として抱えこんでしまっていることを含意しているのである。
( 人格心理学 大山泰宏 著 参照 )
誰かがいるから自分がいる。
何もないところから自分は発生しない。
でも、
自分の成り立ちは、
完全に理解している人は少ないのです。
不思議ですよね?
でもそれが「 人 」なんですよね。