DUCATI
ドゥカティである。
イタリアのメーカーである。
ドゥカーティの一族は
古代ローマ帝国まで遡る由緒あるイタリアの名家である。
ボローニャを拠点としルネサンス期から医学や技術の面で優れた人材を輩出した。
とうとう古代ローマまで来ました!
いろんなメーカーありましたが、
ここは家柄から違ってました!
( ̄∇ ̄)
アントニオ・カヴァリエーリ・ドゥカーティは1880年頃から水力学と鉄道関係の発明家、技術家として工場を経営していた。
水力は発電機と密接な関わりがあり、ここから電機関連事業へと参入した。
アントニオの息子アドリアーノ・カヴァリエーリ・ドゥカーティ(Adriano Cavalieli Ducati )は電気に深い関心を持ち、
1924年にはアメリカ合衆国との交信に成功、無線通信や放送事業に大きな将来性を見い出し、1925年に巨大な工場をボローニャとミラノに建設、高品質な電子部品の大量生産に成功。
1939年には従業員7000人の大企業へと成長した。
赤いドゥカーティのマークをつけた
コンデンサーは時折古いイタリア電気製品の中に発見できる。
この当時、アイントホーフェンの小さな電球製造工場だったフィリップスから招かれて技術協力を約束、その後ドゥカーティの後押しでこの工場は世界最大の電気メーカーへの道を歩むことになった。
ドゥカティのラジオ
1935年にインターホン。
1939年に電蓄音機とラジオ。
1940年に電気シェーバー。
1941年に16mmフィルム映写機。
1942年には電動計算機と次々に新製品を発売した。
この他にもカール・ツァイスのパテントでレンズ、眼鏡、双眼鏡、オーディオアンプ、自転車と広い範囲の製品を販売した。
しかし第二次世界大戦により大きな被害を受け、産業復興公社(IRI)の支援を受けることとなった。
おー!?
カールツァイスは知っとるぞ!
SONYのハンディカムがそれだった。
( ̄∇ ̄)
ちょうどその頃トリノにあったシアタは原動機付き自転車クッチョロ(Cucciolo、子犬の意)を発売してベストセラーとなっており、エンジンのOEM生産先を探していた。
その事情を産業復興公社が知って
1946年ドゥカティでエンジンを生産することになる。
ドゥカティは1947年には販売権を獲得し、改良しつつ総計25万台以上を販売した。
当時はピアジオのベスパとイノチェンティのランブレッタがライバルで、優秀さをアピールするためレースに出場するようになった。
クッチョロ
やっと
バイクらしきものが登場しました!
( ̄^ ̄)
1953年、創立からの分野である通信機器部門とオートバイ部門の2つに会社が分割された。
1956年 - 世界グランプリに参戦。
1956年 - マークIIIシリーズに市販車として初めてデスモドロミック機構
を採用。
おー!?
デスモドロミック!?
ドゥカティでよく聞くけど、
何コレ?
デスモドロミック(Desmodromic )とは、レシプロエンジンの吸排気弁をバルブスプリングに依らず、カムとロッカーアームの機構によって閉じる機構である。確動カム機構ともいう。
Wikipediaより
うん。
わからん。
( ̄∇ ̄)
どーも、一般的なエンジンで用いられるバルブスプリングを利用したバルブ機構で問題となる、バルブの動きのエラーを回避するシステムらしい。
特に特許があるわけではなく、コストがかかるのでどこもやってないんだけど、ドゥカティだけやってるって話。
1964年 - 5速ミッション採用。
1964年 - 後ろ側エンジンマウントの幅を拡げ、ミッション、オイルポンプが強化された。これ以降のエンジンはワイドケースと俗称される。
1970年 - 現在の主力商品である大排気量Lツインの元祖、750GTをミラノショーで発表。
1972年 - イモラ200マイルレースにてデスモLツイン750ccレーサーがデビュー戦でワンツーフィニッシュ。
優勝はポール・スマート(Paul Smart )、
2位はブルーノ・スパッジャーリ(Bruno Spaggiari)。
750SSイモラレプリカ
1978年 - マン島TTレースで当時の強敵ホンダRCBを破って
マイク・ヘイルウッドの乗るNCRの900SSが優勝した。
1979年 -
マイク・ヘイルウッド・レプリカを発売。
近くのバイク屋に置いてありました。
イタリアンカラーが凄いかっこよかったです。
しばらくして知り合いの家にこのバイクが置いてあり、
「かっこいいですよねー?」
「乗った感じはどうですか?」
と聞いたら、
「乗りにくい!!」
のひとことでした。
当時のバイクはセルスターターがなく、
すべてキック!!
それも重い!
レーサーレプリカなのでハンドルが切れない!バイクを思い切り倒して曲がるので怖い!
との事でした。
( ̄∇ ̄)
それでも乗りたい?
1978年 - 伝統のベベルギア駆動ではなくカムシャフトをコグドベルト駆動する初めてのモデル500SLパンタ発売。以後600SLパンタ、650SLパンタと進化する。
1983年 - カジバと提携。
1985年 - 750F1パンタ発売。同年マイク・ヘイルウッド・レプリカの最終モデルミッレが製造中止となり、ベベルギア駆動からコグドベルト駆動への世代交代が完了した。カジバに買収され傘下に入った。
1986年 - カジバの設計者マッシモ・タンブリーニにより設計されたパゾ発売。
1988年 - スーパーバイク世界選手権が始まり851で最初から参戦、2006年までの19年の間に12人の年間チャンピオンを輩出している。
1998年7月 - カジバ傘下からアメリカテキサスのパシフィックグループ傘下に移った。
2003年 - ロードレース世界選手権の最高峰MotoGPクラスに参戦しホンダやヤマハに次ぐ勝利数を挙げるメーカーとなっている。
2007年 - ワークス契約ライダーの
ケーシー・ストーナー
とドゥカティ・マルボロチームがMotoGPクラスで年間優勝、ドゥカティ初の3部門(ライダーズ、コンストラクターズ、チーム)すべての制覇を成し遂げた。日本メーカー以外のマシンが世界最高峰のオートバイレースで年間優勝したのは1974年のMVアグスタ以来33年ぶり。MotoGPで出場していた車両(デスモセディチ)を基に一般公道走行可能にした車種が発売された。
HONDAか、
YAMAHAか、
SUZUKIか、
って日本車全盛の中に
よくぞ入って来た!
って感じでした。
2012年 - 4月18日、ドイツの自動車メーカーアウディはドゥカティを傘下に持つ投資会社インベストインダストリアル・ホールディングスから株式を取得し、同社を買収したと発表した。買収と同時にフォルクスワーゲングループ傘下となる。
企業って
カッコいいとか、
速い!とか、
レースで優勝した!
とかじゃ継続はできません。
どこかの企業に
後押ししてもらわないと
その歴史さえ、消えてしまいます。
他の企業傘下に入って
極端にデザインとか変わってしまうのは
「どうなの?」
と思いますが、
継続してそのメーカーに乗れるなら
企業傘下に入るのもありかな?
と思います。
( ̄^ ̄)