マイケル・ドゥーハン
はっきり言って、
あの頃は無敵でした。
1965年、オーストラリア生まれ。
1980年代から地元のスーパーバイクなどのレースに出場。
1987年にはヤマハから鈴鹿8耐に参戦(結果はリタイア)。
1988年の8耐は資生堂TECH21、平忠彦と組んで参戦。(決勝9位)。
1989年、日本GPから
HONDA NSR500を託される。
ドイツGPで初表彰台(3位)を獲得し、
年間ランキング9位。
当時は、
ヤマハのウェイン・レイニーやスズキのケビン・シュワンツという実力者がいた時代。
ホンダの新世代エースとしての期待を背負っていたドゥーハンだったが、怪我の影響が長引き、1993年のサンマリノGPでの復活勝利までは消化レースが続いた。
1994年。9勝を記録し、
念願の最高峰500ccタイトルを取る。
その後5年連続で500cc王者
となる。
トラクションで有利なビックバン=位相同爆のファイアリングオーダーが流行した当時、あえて等間隔爆発のスクリーマー仕様のNSR500を選択。
これは絶対王者である自分の選択に対し、同門のホンダ勢を含めるライバルたちが心理的に混乱することを読んでのチョイス。
レーストラック上の勝負でもライバルを圧倒し、それ以外の時間もライバルたちの心理をコントロールするという、
「ドゥーハンの支配」が続いたのが当時の500ccクラスでした。
あの
ヘルメットのブラッシュラインを
デザインとして広めたのは
マイケル・ドゥーハンでしょう。
私のpcx150もそのカラーリングにしてます。
YAMAHA テック21にしても、
HONDA ロスマンズにしても、
( 特に
ロスマンズ = ドゥーハン!?)
HONDA レプソルにしても、
イメージされるライダーは
マイケル・ドゥーハン
でした。
(^◇^)